近況報告「でも私はそうでは無かった」

毎年1・2月は3月以降の業務への「準備期間」という位置づけでいつも落ち着いた日々を過ごしています。

私がおそらく中学生くらい(13歳位だったと思う)だった頃、自分の人生はその先がまだまだ長く、余裕があってうれしいな~という感覚を持っていました。基本的に余裕がある方が好きな性格で、人生における最大の時間的な余裕という意味で、いわゆるその「時間的な立ち位置」の感覚を楽しんでいました。

それから学生を卒業した20代の頃は、自分の置かれた立場や環境がままならずに日々右往左往していたので、残念ながら「時間的な立ち位置」を感じた覚えはおそらく一度もありません。

45歳になった今では年齢的に「中盤」を超えてきている事もあり、その人生における時間的な余裕というのはこれまで程感じられなくなりました。幸いにも30代から自分の環境が整備され、それまでとは全く違う日々を送る事になります。40代になり経済的にも人間関係的にも非常に恵まれてきたため、それまでと比べて自分の時間的な立ち位置の感覚にふける余裕は非常にたくさんあったのですが、今現在何度繰り返してみてもやはり中盤を超えている事は確かです。

寿命で考えるならば後半戦がスタートしたと言っても良いでしょう。いやまだ45歳なのでまだまだ人生これからではあるのですが、あくまで以前と比べたらのお話で、その余裕は小さくなっているのは確かです。

あんなにあったはずの余裕がだんだん無くなっている事は残念なのですが、とにかく日が経つのが非常に早く、1年が過ぎるのがこんなに早いため、納得するしかないのが現状です。皆さんもここについては同じだと思います。

この時間的な立ち位置の余裕があった頃は、常に3時間でできる事を6時間で、3日でできる事を5日で行えるような「余裕」を作る様にしていました。これが自分的に好きでした。時間に追われたくないという気持ち・まだこれだけあるという余裕を感じたい性格が反映されていました。

ところが人生における時間にこれまで程の余裕がなくなってきている今、3時間でできる事を3時間で、できれば2時間で。3日でできる事を3日間で、できれば2日でできる様にと、常に圧縮できるように努めようと考えるようになりました。私の場合、漠然とした余裕のなさに対する「焦り」が時間単位のパフォーマンスを上げている事は確かなようです。そうすれば単位あたりの仕事量・作業量は増えるため多くの事が出来るようになります。

本来、3時間でできる事を1時間でできるように考えて行動を起こす事を、その時間的な立ち位置などを考えなくても若いころから自然にできる人がたくさんいます。でも私はそうでは無かった。若い頃そうしてこなかったことに対して後悔の念は一切ないのですが、自身がこれまで出来ていなかった事を自覚し、これを機に時間効率を上げて(まだそれに対するプレッシャーはありますが)いきたいと思っています。

人間だれでも漠然とした焦りがあれば自然と行動が変わり、パフォーマンス・能力が上がっていくのかなと思ったりしましたが、中には自身の置かれた「時間的な立ち位置」などを全く考えず、さらに時間効率を上げようと考えない人達も世の中にはたくさんいるでしょう。しなくて良い人はしなくて良いからです。

時間的な立ち位置などを考えなければ、これまで通り焦らずに自分らしく幸せにいられると思いますし、急ぐことが必ずしも良い事かどうか、焦る事が正しいのかどうかは正直誰にもわかりません、全て個人の感覚だからです。

でも私はそうでは無かった。なので、そうでなかった事を誇りに思う事が大切だと思っています。時間短縮の必要性に気づき、前ほどの余裕がなくなったのだから集中して頑張ろう!と、気づける・焦れる自分に感謝したいと思っています。

話にとりとめがなさ過ぎて焦ります。さあ次いこう。

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