原因と結果を後付けする癖について

何気なくYahooのコラムをみていたところ、ふと興味ある記事をみつけたのでここで紹介します。

それはブッダの教え「悟り」とは何ぞやという記事でした。私は詳しい事は全然わからないのですが、そんな私でもブッダとは「悟りを開いた仏教の祖」という位置づけです。その記事で言うブッダの教えとは、物事や出来事の全てに「因果」を感じようとする心、その心から脱却する事こそが真の悟りであるのだそうです。

かくいう私も日ごろから全ての事に「因果」を位置づけするタイプで、ちょっと悪いことが起きたりすると、これが原因・あれが原因という形ですぐに理由付け(納得)しようとする考え癖を持っています。

自分以外の他者にその理由を見つけるのではなく、全て「自分のせい」という解釈ですので、自分を磨く事こそが自分、ひいては周りの幸せにつながるという「因果」の考えを念頭にしています、他人のせいにするよりはよっぽどましだと思っています。

ブッダの教えはその「因果」の概念から脱却する事が重要としています。なぜその因果の考え方から脱却する必要があるのか、それはそれまでの人間の歴史の中で起こってきた数々の悲劇は、人間が本来持つ「見えている現実を見えなくしている」力が原因であるからだそうです。

ブッダは2500年以上前から、因果が引き起こす「見えている現実を見えなくしている」力から解脱する事が、悲劇をなくす一番の方法だという結論を持っていたそうです…すごいです。

少し難しい説明になりますが、現代社会における人類はその生存率を上げるために必要な言葉による評判を媒介とした協力関係システム、<間接互恵性>を進化の過程で身に付けます。言葉による人とのコミュニケーションですね。さらに、良い事をした人には報酬を、悪い事をした人には罰を与えたいという<道徳感情>がそこで生まれたそうです。何事にも理由が必要なんですよね。

動物にもみられる「目に見える」直接的な助け合いではなく、「目に見えない」言葉や評判が巡りめく間接的な助け合いである<間接互恵性>が、人間の因果推察能力を発達させていきます。

通常では理由付けができない事象や天災などにもその理由を見出そうとしていき、度が過ぎた因果推察能力は、「人は死んでも生まれ変わる」いわゆる輪廻という考え方すら生んだとされています。

私自身この記事を読むまで輪廻の考え方を自然に持っていましたが、これが人生のいろいろな意味での「不条理」を意識的(無意識かも)に感じ、強力な因果の言い訳として生んだものなのだという結論に、非常に衝撃を受けました。

そんな逃げの考え方をしているつもりはないですし、現代社会で生きていく以上仕方のない事だと思いますが…これって言い訳になるのですね。

因果で推定できないはずのところに強引に因果を求めてしまう人間の性質が、「目の前の現実を見えなくする」力の根源であり、目の前の現実が見えていない・真実が見えない人達こそが、戦争やテロなどの悲劇を生んでいくのだとされています…確かにそうかも知れません。

物事の一つ一つをたんなる偶発的なランダムな出来事に考えす、全てが意味を持って連鎖する「物語」として読み取ってしまう人間の本性が、真実を覆い隠す「迷い」を引き起こすことをブッダは知っていたのです。

コラムでは因果と真実が見えなくなる力との関係をいろいろ紹介しているのですがここでは割愛させて頂き、私が特に注目した現代社会で人々が幸せに暮らす・平和に導くための方法を紹介させてもらいます。

一つ目に個人としての悟りです。
一個人が人間の本質である道徳感情から脱却して真実を目にする事は、人間である以上難しいという結論でした。それは人間でなくなることを意味しているからだそうですが、確かにそうだと思います。因果を考えず良い事・悪い事の判別もしないという事は何でもありの世界という事になりますので、そんな無秩序の中では生きていけません。

2つ目は民主主義での悟りです。
なぜ民主主義が悟りになるのでしょうか。記事によればたんなる抽象的な理想論やイデオロギーではなく、大勢の人達で話し合いをして結論を決める民主主義の方が、個人の道徳感情による考え方が入りずらくなるそうです。つまり個々の人間に深く考えさせないようにする事が重要だとされています。

話し合いでは、個々の面では筋の通った思考ではない、いわゆる「バカ」な考え方になってしまいがちなのですが、このように大勢で考えて結論づけたことは結果として、ある程度妥協された考え方・特定の誰の考え方でもないという事で、それを採用する事で人類の生存率が長期的な面で上がるという事。あえて比較すれば、人間の持つ真実が見えなくなる考え方が入らない方が、独裁や少人数のエリートによる支配よりも「マシである」という事だそうです。

「三人寄れば文殊の知恵」という格言は、知恵が三倍になって賢者となるのではなく、人々の因果や物語を三分の一ずつに分断し、筋の通った思考ができない状態にすることによって、真に正しいかどうかはともかく間違った方向へいかないように制御する事を指しているそうです…知りませんでした。


この記事は連続もので、次回は民主主義が人間の本性を克服する唯一の方法である事を掘り下げて考察する事になるそうです。
それによれば今の政治で野党が与党の批判ばかりをしている現状が実はもっとも正しく、仮に野党が与党に賛同したり対案などを出して盛り上げるようなことをすると、それは国家の破滅にもなる事が理解できるようになるそうです。

この辺りも含めて次回がちょっと楽しみです。

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